夕ぐれのとき-4 [散歩や道草]
近頃は美術館もものわかりがよくなって、夜間でも見られる日を設けるようになりました。
寝坊で夜行性の私はたいそう嬉しい。
どこでも会期末は昼間は混むのですが、夜はほどほど。それも嬉しい。
東京国立博物館、見終わって外に出ると、表慶館も本館もライトアップされているではありませんか。
昼間のいかめしい印象がいくらかやわらいで感じられます。
夕ぐれのとき-3 [散歩や道草]
夕ぐれのとき-2 [散歩や道草]
「日暮れ」という言葉には、太陽が沈んでいく様子の、自然現象を感じるだけです。
「夕ぐれ」。これはちょっと複雑。
「夕」そのものが、日暮れの意味をもつのに、さらに「暮れ」を付け加えているのです。
言葉通りに受けとれば、日暮れどきが暮れるんだから、もう少し遅い時間帯。ということになります。
私の感じでは、太陽がまだ山の端からのぞいている頃あいが、日暮れ。日没後が、夕ぐれ。
「たそがれ」は、誰ぞ彼?と、人の顔を見分けがたくなった時間帯だから、夕ぐれより少しあと。
「おうまがとき」は、逢う魔が時。たそがれよりも、一段と暗い。
さて、目白の大六天。道路と崖にはさまれた狭い境内にある小さなお社。それでも管理する人がちゃんといるらしい。集会室もあって、普段は鍵がかかっていますが、あるとき、ちんとんしゃん、ちゃかぽこと、三味線や鳴りものの稽古をしている音が聞こえてきました。
大六天は、第六天魔王のこと。仏道の修行の邪魔をする怖~い魔王だそうです。なんで神社にまつられているのかわからないけれど、おうまがときにこの場所を通るのは、ちょっぴりスリリング。