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夕ぐれのとき-4 [散歩や道草]

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近頃は美術館もものわかりがよくなって、夜間でも見られる日を設けるようになりました。
寝坊で夜行性の私はたいそう嬉しい。
どこでも会期末は昼間は混むのですが、夜はほどほど。それも嬉しい。
東京国立博物館、見終わって外に出ると、表慶館も本館もライトアップされているではありませんか。
昼間のいかめしい印象がいくらかやわらいで感じられます。

夕ぐれのとき-3 [散歩や道草]

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鹿児島空港にて。
25日、日帰り出張。鹿児島ははじめて、しかも最高気温35度あったという、この日に。
展望台からのぞむ桜島は白くかすんでいました。
取材を終え、空港に戻ると灯ともし頃。
チェックインして滑走路を見ると、この構造物は?
ほっと一息ついた気分なので、なんだかわからないけれど素敵な造形に思えました。

夕ぐれのとき-2 [散歩や道草]

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「日暮れ」という言葉には、太陽が沈んでいく様子の、自然現象を感じるだけです。
「夕ぐれ」。これはちょっと複雑。
「夕」そのものが、日暮れの意味をもつのに、さらに「暮れ」を付け加えているのです。
言葉通りに受けとれば、日暮れどきが暮れるんだから、もう少し遅い時間帯。ということになります。
私の感じでは、太陽がまだ山の端からのぞいている頃あいが、日暮れ。日没後が、夕ぐれ。
「たそがれ」は、誰ぞ彼?と、人の顔を見分けがたくなった時間帯だから、夕ぐれより少しあと。
「おうまがとき」は、逢う魔が時。たそがれよりも、一段と暗い。
さて、目白の大六天。道路と崖にはさまれた狭い境内にある小さなお社。それでも管理する人がちゃんといるらしい。集会室もあって、普段は鍵がかかっていますが、あるとき、ちんとんしゃん、ちゃかぽこと、三味線や鳴りものの稽古をしている音が聞こえてきました。
大六天は、第六天魔王のこと。仏道の修行の邪魔をする怖~い魔王だそうです。なんで神社にまつられているのかわからないけれど、おうまがときにこの場所を通るのは、ちょっぴりスリリング。

夕ぐれのとき-1 [散歩や道草]

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堀口大学に「夕ぐれの時はよい時」という詩があります。
  夕ぐれの時はよい時
  かぎなくやさしいひと時
という書き出しの2行そのものの響きがやさしく、読むだけで呼吸が落ちついてくることを感じます。 
私もこのひとときが好きです。
太陽の光と、人間の灯す光とが、互い主張せず、まざりあい、調和してつくりだす穏やかな眺め。
私が一番多く外出する時間帯でもあるので、そんな風景を拾ってみることにしました。
今日の写真は目白通り。有名なパティシエのお店だそうですが、
まだ入ってみていません。

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