工作-1 [アートな時間]
顔の形のペンダントトップは山本昌子さんからのプレゼント。奈良の赤膚焼です。
もうちょっと面白くしよう。
ずーっと以前に買ったトンボ玉、おあつらえむきに2個あるし、色がよく合う。
紐も買ってありました。
あと、赤い色のビーズが少しほしいな。100円ショップを覗いてみたら、ありました。
腕輪セットだそうで、大小色々なビーズが一組になっています。これを3袋。
できた! これからの季節、まっ白いシャツにいいね。
紐の結び目でもちょっと遊びました。
ハンドバッグのなかの春 [アートな時間]
蝶のついた栞です。若い編集者の方からのプレゼント。
花の写真をカバーにした本にはさんでみました。
私は、愛読書にかけるカバーに、よくカレンダーなどの写真をもちいます。
本の内容に調和する写真を選ぶのも楽しみ。
上のクジャクサボテン(と思われる)は、「明恵 夢を生きる」河合隼雄著。
下のチューリップは、「海からの贈り物」アン・モロウ・リンドバーグ著・吉田健一訳。
出掛けるとき、その日の気分で1冊をえらびます。
帰りにすこしでも余裕があれば、お茶をして、偶然に開けたページを読む。
日常に軟着陸するための時間です。
栞はティーバッグと一緒に、「スパイラル」の袋に入っていました。
紅茶さっそくいただきました。いい香りです。
素敵な贈り物を探しに、スパイラルまで出掛けてくださったのね、ありがとう。
また ある日の銀座-2 [アートな時間]
異空間写落さんのグループ展会場を出て、さて…7丁目あたりを漫然と歩いていると、
あらっ! フジタさん
ギャルリーためながという、大きな画廊。「藤田嗣治展」と大書した幟がはためいています。
日頃は敷居の高い世界ですが、これなら通りがかりの者が入ってもよさそうですね。
大きなガラスのドアを押すと、なんと、フジタの少女像と若い女性の像が何十点も。うわああ、ここは宝島か?
淡彩のもの、線と陰影だけのもの。大部分は完成された作品、スケッチとわかるものも一部あります。パステルの少女像もありました。油彩はありません。
どれも立派な額に入っていますが、ガラスなし。照明は充分明るく、30センチの距離から自由に眺められます。
フジタの少女像はみな非常に額が広く、猫のような丸い目を見張っています。ツンと澄ました表情は見る者を寄せつけない感じ。不思議なのはその手の形で、ぶよぶよし、ねじくれています。少女とは別個の意志をもった軟体動物のようです。
異様さが心のなかでチクチクするものの、髪の毛ほどの線の、なんという確実さ。最小限の影が作りだす、豊かな立体感。ほれぼれ、うっとり。1枚1枚丁寧に見てまわりました。
そこへ画廊の人が、高さ140㎝・幅は襖3枚ほどもあるボール箱を運んできました。箱からずるずると引きだした絵は、ビュッフェの大作。無造作にフジタの額のある壁に立てかけていってしまいました。
画廊にきたお得意さんに見せるためだったらしい。私は偶然のお相伴。
まちがいなく、ここは宝島だ。
しかし、繊細にして華麗なフジタの線を見た眼には、ビュッフェは荒々しいばかりで、好きになれませんでした。
どこかで話し声がします。「これ、売るの?」
「はい、すべて」
フジタのコレクターか、その遺族が、手放すことにしたのでしょうか。
事情はともあれ、堪能しました。
棚からぼた餅でした。
また ある日の銀座-1 [アートな時間]
日本晴れ日曜日-4 [アートな時間]
「飛騨の円空」のあと、友達は「エル・グレコ展」も見るという。
私は美術展のハシゴはしない主義なんだけど、つきあうとしますか。
会場に入るとそこは、エル・グレコの肖像画家としての側面を紹介する部屋でした。
エル・グレコの自画像、美貌の女性、若い修道士などなど。いきいきした表情。祭壇画のエル・グレコとはだいぶおもむきがちがい、筆づかいは丁寧、こまやか。
とくに印象的だったのは、白い法衣に十字架をつけた男の肖像。説明に、本人の死後に描かれた、とあります。
えっ? 今にも動きだしそうどころか、声が聞こえるような存在感です。
じつは、生前に別の画家が描いた肖像があり、エル・グレコはそれを見て描いたと、参考出品としてもとの絵が並べて展示してありました。
もとの絵もしっかり描いてあると思いますが、エル・グレコの描く表情の微妙さ。サリエリとモーツアルトの違いだね。
人物の視線が不思議です。左右の目の視線の方向がわずかにずれています。
ほかの肖像画にも、そんな視線がありました。
これが、今にも動きだしそうな印象を作っているのかな?
さて宗教画です。
受胎告知2点のうち、1点のマリア。その辺にいそうな、普通の健康的な女の子。若描きでしょうか。
「そんなこといわれても、困るわ」という顔つき。気持、わかる。
祭壇用の大きい絵は、奇妙に白い肌、粗いタッチ、強調された明暗、引き伸ばされた人体。
見る人は少し離れて見上げること、照明はほの暗い蝋燭の灯り。それを計算に入れての表現でしょうから、天井の低い展示室で見ると、うーん、なんだかなぁ。
ジャン・コクトオに「グレコ」という詩があります。その、最初の4行。(堀口大學訳)
水の中で死んだ蛙よ
私は君を醜いと思ひ得るであらうか?
トレドの画家が描いた若者たちも
脚はふやけて居り、指はひらいてゐる。
実際はどんな位置で、どんな光線で見られていたか、レプリカでいいから、わかる展示もあればいいと思います。